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春山合宿 越後三山水無川
野田 昇秀

山行日 1966年4月29日~5月3日
メンバー (L)小島、原口、山本(敬)、野田

 ほとんどの山が私にとって未知の山であっても、多くの人々には既に知られ登られた山である。春山合宿には私達が過去に登っていない山であり、また多くの人々も登ったことのない未開拓の山を選ぼうと幾度か話し合ってきました。しかし、なかなか難しいことでした。交通が不便である。アプローチが長いと考えていくうちに、短い休みを往復の交通とアプローチに消化して山に登ることが不可能な場合が多かった。比較的簡単に入山できる越後水無川を選んだのは記録が少ないこと、特に積雪期、残雪期の記録があまり見当たらず、この分ならば登山者も少なく私達だけの登山を楽しむことができるのではないかと考えたからです。計画はBCを高倉沢出合に置き、
①高倉沢から八海山
②真沢から中ノ岳
③郡界尾根またはマキグラノツルネから駒ヶ岳
以上を登る予定でしたが、あくまで偵察を主体として登攀は次の機会にしようとのことでした。越後でも有数の豪雪地帯なので谷中はブロック雪崩の危険が非常に大きいと考えたためでした。

4月29日
 早朝、六日町に下車した私達は6時30分の始発バスが待ちきれずにタクシーで大倉部落里宮まで入る。早くBCを設営して今日中に一本稼ごうと張り切って出発しました。轟々と雪融け水を流す水無川左岸の道を小1時間歩く。両側は畑でこの道が未知の山に続いているとはとても考えられない。和やかな田園風景でした。金山橋で右岸に渡り、大きなスノーブリッジを高捲くと左側からオツルミズ沢の大滝が豪快に水を落としていた。テントは魚留の滝上の小さな雪の台地に張った。
 午後から偵察に出かける。駒ヶ岳、中ノ岳、八海山の内側に深く刻み込まれた水無川のスケールの大きなことに驚かされながら本流の雪渓の上を右に左に渡り二俣で左のモチガハナ沢に入りました。枝沢の一つ一つが谷川岳のマチガ沢、一ノ倉沢ほどのスケールを持ち、幾つともなく横に広がっている。どれを登っても困難であろう。私は大変な所へ来てしまった。来るんじゃなかったと考えました。
 モチガハナ沢左俣の中ほどまで登って帰幕する。夜、リーダーの小島さんと原口さんは真剣に登攀の可能性を話し合っていました。生命が二つあれば登ってしまうのだけどと小島さんの声が耳に残った。問題はブロックだそうです。

4月30日
 昨夜から降り出した雨は終日降り続いていた。防水のない冬テントは漏り放題に水が入ってくる。おまけに底は完全防水、私達はプールの中にエアーマットを敷いて生活しているようだ。シュラフもびしょびしょになる。小降りになった雨の中を対岸の高倉沢を偵察に出かける。中ほどの大石から上部を見ると雪渓が稜線まで続き、傾斜もそれほど強くない。唯やはり巨大に発達した雪庇が張り出している。右側の枝沢の方からも落ちてきそうでした。明朝早く雪の締まっているうちに登ってしまうことになった。

5月1日
 寒さで目を覚ますとまだ星が残っていた。雨を含んだ残雪は凍って条件が良くなっている。昨日の休養で体調も上々である。明るくなり出した空も快晴を知らせてくれる。アイゼンを付けて凍った雪渓を踏みしめながら対岸の高倉沢に入った(6時20分)。
 雪崩のデブリでデコボコになった斜面を急ピッチで一直線に登り続けると大石である。この辺りはスキーのゲレンデになりそうな緩い雪の斜面でした。昨日の雨が上では雪に変わったのだろうか、薄っすらと雪を纏った岩が朝日に輝いて美しかった。狭くなった沢筋も新雪が10cmほど積って歩きづらかった。ブロックを恐れて急ピッチで急斜面を登ると八海山と丸岳の中間の稜線に出た(9時15分)。踏み跡一つない稜線、3人だけの山が遠くまで白く続いていた。いよいよ縦走の始まりである。地図と山を見ながら道を探して雪の斜面を歩き出した。中ノ岳までは雪庇の上を、クレバスの中を、シュルンドの中を、小さな岩場を、足の踏む所もないようなナイフリッジを、雪壁を、薮の中をと変化に富んだ縦走路を楽しみながら歩きました。中ノ岳手前の御月山で私は完全にグロッキー、まだ行程の半分も歩いていないのに、雪の大斜面をやっとの思いで登ると中ノ岳頂上を踏むことができた(4時)。まだ先は長い、真白な駒ヶ岳が遠く夕日に輝くのを恨めしく思いながらも雪稜を無心に歩かなければならなかった。
「ビバーク」何と素敵な言葉であろうか。安らぎと休息を与えてくれるビバーク、だが今日は出来ない。食料は尽き、靴は水が入って濡れ、着替え一つ持たない軽装では無事一夜を明かすことは出来ないであろう。せめて1本のローソクでもあれば良かったのだが。大バテにバテた私がブナツルネの分岐に着いた時(6時)、太陽は陰り遠く浦佐の町の灯がキラキラと見える頃でした。ブナツルネの雪稜は既にフィルムクラストして歩くたびに雪片がサラサラと谷間に落ちていった。ライトを持たない私達は月の光を頼りに慎重に下降を続けた。雪稜を強引にグリセードで降りたりもした。今日入山した山本さんとはトランシーバーで連絡しながら無事を知らせ、心配しないように連絡を取り合った。BCの焚き火が見える頃から私は放心状態になり、幾度かスリップを繰り返し、グリセードも失敗してピッケルで滑落停止をする始末でした。やっと二俣に降りると最後の悪場、ズタズタに裂けた雪渓が待っていた。慎重に、最後だから頑張ろうと心に呼びかけながら、やっとの思いでBCに辿り着くことができた(10時30分)。
 16時間よく歩いたものだ。私がバテたために先輩達に迷惑をかけてしまった。もっと強くならなければいけない。

5月2日
 今日も快晴である。小島、山本さんは真沢の溯行に出発し、原口さんは下山していった。私は右足の古傷が痛み出したので停滞である。水無川に釣糸を垂れて釣を楽しんでいた。昼過ぎ、幣の滝まで登ったという2人が帰ってきた。真沢を1日で登れても下山路がブナツルネになるためビバークをしなければだめとのことでした。弓を作って熊狩りをやろうと張り切っていたが、熊の方が強そうなので止めにする。夕方から雨が降り出した。

5月3日
 雨の中でテントを撤収し、雨の中を下山した。大倉部落でバスが来ないために豪雨の中を浦佐まで歩く。びしょびしょになり風邪を引いた。


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