山行日 1967年2月19日
メンバー (L)五十嵐、小島、野田、椎名、小池、黒須
岩場の招介として載っていた山渓3月号を見て、春になり暖くなったら、ぜひ登ろうと一人で決め込んでいた。当会の岩気狂い達に知らせるだけでもと、ルームで話をすると、今週行こうぜとさっそく声がかかった。まだ冬だからなあ、岩もよく冷えているぜと渋る私をけしかけるように、次から次へと計6名、特に五十嵐君は例会をマコ岩に変更するからとの熱の入れようである。引くに引けない立場に追いやられた。これで私が行かないと言ったら何をされるか解ったものではない。M殿の例もあるし、次の合宿で半殺しにされるであろう、いやいや行くことにする。初めての岩場なので偵察を主にして登攀はこの次にと防波堤を築くのを忘れなかった。
鳩の巣から白丸の方へ青梅街道をしばらく行くと滝の沢橋という小さな橋がかかっている、そこから沢に入り右側の小尾根を2本越した所にマコ岩がある。まだ登る人が少ないせいか踏跡ははっきりしていない。ABCの三つのフェースからなるマコ岩は南向のせいか、越沢バットレスのような陰険さはない、明るい太陽に照らされてしごく感じのよい岩場である。さっそく教科書を取り出してルートを追う。どれを見てもスラブとオーバーハングをいくつか持った人工登攀のルートであった。中上級向ゲレンデと書かれた山渓を素直に信じてもっと私に適した初級者向のゲレンデに行けばよかったとしきりに思う。
しかし、どこか登らない訳にはいかなかった。思いきってAフェースの中央スラブルートを登ることにした。五十嵐、小池、黒須の3名はかなり悪そうなフェースを登ってスラブ下のテラスに出た。小島、椎名、野田は易しいクラックからテラスに出た。いよいよスラブである。ややかぶり気味20m程の壁に一直線にボルトが連打されている。唯そのボルトにアブミを掛け替えて登ればよいのであると簡単に言いきれない程悪戦苦闘でした。3回程掛け替えると既に腕は棒になり、足は私の意志と無関係に小きざみに震えてくる。まだまだ9割も残っているというのに。
これくらいで弱音を吐くようでは、山登りは止めた方が無難ではないでしょうか。岩登りも止めた方がよいのではないでしょうかと私の唯一の楽しみを取り上げようと努力している母親の顔が目に浮ぶ。バーカメ、弱音なんか吐くものかよう。俺も男なんだとやけにいきがって登り続けた。やっと真中である。もう引返すより登り切った方が楽である。諦めてしまうと意外に調子よく登る事が出きた。次はアブミに乗るのが初めてという黒須君である。しぶとい根性でスラブを登り切った。小池君はいたって快調軽快なバランスで登っていた。のこりの3名は時間の都合で勇気ある中退となった。また登る日もあるでしょうと。帰路は道なき道を下って青梅街道に出ました。月を眺めながら、椎名さん特製のアッタカイ味噌汁に舌つづみを打って、鳩の巣に向いました。
マコ岩を登る場合、1パーティ2名程度の少人数の方が登りやすいでしょう。人工登攀のため時間がかかるのと、中央スラブ以外には大きなテラスがないためです。装備はカラビナ20枚、アブミは各自3台用意した方が、練習の能率が上ります。