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ヒマラヤイズム小論
岡野 淳

 我々の行っておる「山登り」という行為は、それを行おうとする個々人の精神と大自然の結びつきによる宿命的な行為であり、人としての意慾の趣くままにより高くより困難な山を目指して、あらゆる可能性を追求しながら進展していくものである。そうしたうちに於いて17、18世紀の欧州アルプスを基盤にド・ソシュールによるモンブランを始めとして次々にアルプスの山々が踏破されつつアルピニズムという一つの論理が出来上がり、そしてアルピニズムの発展と共にヨーロッパ・アルプスの各バリエーション・ルートが人類の手に収められ完全に山岳哲学的論理として形成されるに至った。
 しかしながら、アルプス的登攀に於いては準備にして正否の結末が決定し、またヒュッテが至近距離にあるため、少人数パーティでも行動が充分に発揮できるので「山は個人のもの」であるとされ、その指向というものは岩は氷雪の総合的技術によってその困難性を追求しながら登攀することに留まり、その精神的背景は自己を本位とした個人主義的思想に固執し、全ての面で人的・科学的援助を忌避し、極端に排他的・自力本願に偏しており、ザイルパーティ間の倫理的責任は判然としておるが複雑なメンバー構成になると、その責任は漠然となってしまっていた。
 そうした中に於いて一方では科学が進み、登山用具が進歩し、20世紀後半に至るやヒマラヤに於ける8000m時代が到来し、アルプスの精鋭達は目を向け、そして先を争った。だが多くの巨匠達は失敗に終わり、アルプスの闘将マンメリーはナンガパルバットに逝ってしまい、マンメリー主義即ち前近代的アルピニズムの批判が生まれ、個人主義的登攀の限界が表明されるに至り、必然的に組織的な登山が要求され、ヒマラヤイズムが台頭してきて、エベレストを始めK2、カンチェンジュンガ、ナンガパルパッド、マナスル、マカルー等々8000mの高峰が次々と人類の執拗なアタックの前にその頂を明け渡した。
 この8000mを克服できたヒマラヤイズムの理念の中枢は精神的には根性と和、物理的は強健な肉体と洗練された登攀技術、そして科学的な装備品、形式はポーラメソッド(極地法)といった近代的アルピニズム、つまりヒマラヤイズムの成果にほかならない。
 ヒマラヤイズム(聞き慣れないと思うが、私が近代アルピニズムをとらえ勝手に思考したものである)、それは登山行為に於いて成功の可能性を最大限に高めていくには組織的登山が必要、換言するならば多人数にて同一の目的を達成するために人的・経済的に一連の相関関係を結び個人の力では絶対達し得ない目的を達成するための有機的結合体-個人では成し得ない登山も多人数の有機的な行為に於いては成し得ることができる-が必要であって、各種山岳団体や一部岳連の人的・経済的バックアップならびに現地に於いては極地法といった組織的活動で実証されている。
 ヒマラヤイズムの行為論から言えば「極地法」的登山を必然的に重要視せざるを得ないのである。しかし、極地法とは「登頂は全てのメンバーの結集された努力の賜物であってその栄誉は直接頂上に立った者が優先的に占むるべきものではない」という論理であっても陰の力は縁の下の力持ちの類であって極めて地味で、しかも労力を必要とする行為であるので、ややもすると登山行為に懐疑的になることもあるが、それは前近代的な個人主義的登攀思想から脱却できないエゴイズム的感情に過ぎない。これが一つの大きな壁であるが個人主義的登山から全体主義的ヒマラヤイズムに立脚した登山が出来るか否かはこの壁を乗越せるか否かで決定するものである。
 以上がヒマラヤイズムの大要であるが、勿論精神的対象として山を選び自然の未知・解明へ情熱を注ぎ行動することは登山の実践であり、否定すべからざる行為であるから如何なる形式、形態、思想の元に行われる登山行為も否定すべきものではなくヒマラヤイズムへの成長過程である。ただ「力」の点的登山から「力と和」の線的登山に推移すべく努力が唯一のヒマラヤイズムへの近道であろう。


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