山行日 1968年5月2日~5日
メンバー 小島、牧野、菅谷、佐藤(史)、小林、境
1000回記念...どこにしようかと、皆んなで話しあったが、結局、過去2度にわたり、積雪期に縦走を試みて成功していない、不満の残っている山、上州武尊を選んでしまった。方法は、2コースよりの集中方式を選び前武尊山頂で合流、上の原口までの縦走という方法をとった。
5月2日(晴)
旭小屋コースのパーティと沼田の駅にて別れ、バスにて武尊口まで入る。
そこよりトラックにて鍛治屋部落付近まで入る。トラックを降りたところで朝食を摂り、歩き出す。その時トラックが、また来て、武尊に登るのなら、途中まで乗ってけよといわれ、その卜ラックに乗ったのが、間違いの元だった。然しその時は、誰も気がつかない。トラックは動き出し、武尊高原ホテルへの道を通り過ぎ、材木の採集場所へと到着、トラックを降り続く、なおも続く幅広い道を先へ進む、天気も良いし、この道が全々コースの違う武尊牧場への道とは、つゆしらず、元気に歩く、やがて左手よりの大きな沢の出合に出る、そこには明治学院大学武尊小屋へという指導標があり、それに従って沢沿いの道を歩く。ものの10分も歩かぬ内に道が不明確になり、荷物を置いてあちこち道を探す。沢の対岸に、立派な道をみつけ再び荷を背負って、丸木橋代りの到木を渡り、対岸の道に出る。沢沿いの道を、上流に向って歩く。
所々に残雪もみられ、前武尊の山頂もぐっと近づいて来た。内心ニカーッ!とし、このぶんならば、今日中に前武尊山頂だなと喜んでいたが、世の中は甘くなかった、道が完全に無くなってしまった。地図をみたり、周囲の地形をみたり、またまた荷を降ろしての道探しと相成った。君は、あの尾根の上まで、我は、こっちの尾根の上までと、藪漕ぎをしながらの道探し...。しかし両者とも道は、探せなかった。特にM君は、足に血をにじませて帰って来た。またまた、我が会の十八番をやってしまった!と心の中で反省したね。時刻は、5時を回った。仕方がねえから、今日は、これまでと、家を背負ながらのカタツムリの強み、そこに幕営した。フキノトウの油いためがうまかった。明日また、振出しへ戻ろう。我々は、十二沢の途中のところに、いるんだ。
5月3日(晴のち曇り)
8時元来た方向へ出発、昼頃武尊高原ホテル前に到着。そこより林道を歩き、前武尊への尾根道に取りつく。もう大丈夫である。登りは意外と急で、高度はぐんぐん稼げたが、その内天気が悪化し、ガスが出始め、ただ歩くだけになってしまった。今日帰京しなければならぬM君の制限時間も近づいてくる。しかし頂上は、すぐだという事が頭にあり、別に不安も感じなかった。
突然、一本向うの尾根より、モートーの声、ガゼン元気が出た。「もう少しだぞ!」と、登っている内に、YO、YA両君が上から、かけ降りて来た。少々疲れているところだったので嬉しかった。先ずは、安心一休み、本日帰京のM君は、「頂上を目前にして残念だ!」という言葉を残して下山した。さてそこから道は、残雪になり、これが急でオマケに長かった。ガスの中を2ピッチかけて、やっとこさ、前武尊頂上に到着。直ちに、頂上に幕営する。夜になり雨がパラつき出す。
5月4日(雨のち曇り)
午前中は、雨のため行動せず、雨の上がった午後、行動を開始する。急な登りの剣ヶ峰を越し、小さなピークを登り降りする。時おり雨が、はげしく降り、またカミナリがゴロゴロといやな縦走である。くさった雪の上を歩いている為、靴は内外ともぐっしょりだ。ガスの中を休まず歩きつづけ沖武尊山頂に着く。ガスが風でとばされ、周囲の景色が見え出す。ピラミッド型をした西武尊が目に入る、思ったより遠い。あとは、小屋まで下りの道である。途中大きな雪渓があり、そこでトップとラストが大きくはなれてしまった。途中でパーティーをまとめようとしている時に、下の方より、モートーの声、上野原より入山のハリピンの声だ。その声を聞きMが先に行くよと言って、下り始めた。次いでSとKさんが私達もと言ってMのあとを下り始めた。しばらくしてから遅れたラストグループが降りて来た。一番遅れたSさんを、そこからYと私でザイルをつけて降ろし、どうにか小屋まで着いた。もう辺りは、薄暗くなっていた。着いた途端、我々より先に降りた、SとKの両人が居ないということで、またまた騒ぎ出し、モートー、モーモーと大声を出しながら二人を探す。幸い二人は見つかった。沢を一本間違って降りてしまったとのこと。ここでまたまた反省させられた。小屋は、いっぱいで入れないので、小屋の前の雪の上に幕営する(タバコをめぐって、いろいろとありました、ニガイタバゴを喫った人も居ると思います)。
5月5日(曇り)
色々と小さな失敗はあったが、どうにか雪のある上州武噂山の従走1000回記念登山は、完成しようとしている。朝食後、今日の夕方まで帰京せねばならぬSさんを途中まで人をつけて先に降す。残った連中は、小屋へ入ってたき火をしたり、グリセードの練習をしたり、竹を切ってパイプを作ったり各自勝手なことをして午前中過す。午後、天幕撤収して上野原まで下る。そしてバスで水上へ。
メンバー 横田、溝越、鈴木、山本(義)
5月2日(晴)
沼田の駅で、花咲ロパーティと別れ、駅前旅館で朝食を摂り(一人400円)バスで武尊山荘近くまで入る。そこより約10分歩き木賊部落に着く。
皆、重荷を背負って歩くことを嫌って、トラック探し、運が悪く運転手が不在、その時小型トラックが来て第二武尊橋まで乗せてもらう。
Y.O氏があまりに喜びすぎて、成田さんのお守りの入っている、オープンシャツを部落に置き忘れる。すぐ後から部落の人がオートバイで持ってきてくれた。
トラックを降り、1ピッチで旭小屋に到着。(10時半)小屋のジイ様が不在なので登山名簿を書き、小屋付近で山菜(コゴミ)を摘む。その時ジイ様が帰って来て昼食、サンショウの実の佃煮、山ウドなど戴き、14時小屋を出発する。
1ピッチ50分で賽の河原に到着。そこから急な尾根で、木の根が露出して登りにくいが、どんどん高度を稼ぎ、1ピッチ1時間15分で16時半不動岳に到着した。
今日は、ここまでとし幕営、不動岳の岩場で遊ぶ。小屋付近で摘んだコゴミなど入れた豚汁で食事し、眠る。
5月3日(晴のち曇り)
6時起床、今日はあまり天気が良くないようである。8時不動岳を出発。この辺から雪渓になり、1ピッチで前武尊に到着。(九時)今日、前武尊山頂で合流することになっていた、花咲ロパーティが、まだ来ていないようである。
しばらくして今日、花咲から登って来たという、4人パーティに遭ったが、1パーティにも遭わなかったという。先ずは、ここで待つということで話がまとまり、銅像がある小屋を掃除などして待つ。10時、12時と回ってもまだ来ない。代わる代わる降りて、トランシーバで交信するが、一向に返事がない。今まで晴れていた空も、ガスがでて、風も出始める。午後2時ぎ、Y氏と二人で雪渓をかけ降り、モートーの声、一本向こうの尾根から、K・M氏のモートーの声が返って来た。
本日帰京のM氏の荷物を受取り、雪渓を登り前武尊山頂に到着した。
今回の山行は、1000回記念ということで、出来るだけ沢山の人達の入山を希望し、また何か1000回記念らしいものをと予定したが、結局は平凡なものになってしまった。
しかし、これでも良いと思う。計画の打合せ、各係りの人選打合せも行なったが、現在活動中の人達がみんな、社会的に多忙な人達ばかりで充分なる、検討、調査が出来なかったために、失敗が2~3あったことは、反省しなければならぬと思います。夏山合宿には、充分な打合せとそれの実行をするよう頑張りましょう。
だが、今回いつもは、山の中でもアルコールをきらさなかった連中が、全員アルコールをやめ(山の中のみ)て、今回の山行に臨んだことについては、敬意?を表します。