トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ217号目次

御坂山~鶴ヶ鳥屋山
春原 君代

山行日 1972年6月11日
メンバー 宮坂、鈴木(嶽)、北林、今村、春原

 6月上旬には珍しく、日中の30度を越す暑さの名残りのムンムンする新宿駅を離れ、河口湖駅に降り立つと夜気が肌にひんやりする。いつものことのように、早速今村さんが手際よく駅前の柱にツェルトを張って下さったのでその中で2時間近くバスを待つ。3時45分のバスは立席もほぼ満員で、眠気の淀んだ空気を乗せて出発。河口湖の水面はまだ暗く、夜明けを待つ灯火が長く映っているのしか見えない。
 御坂峠入口では私たちの他に1パーティが降りただけだったが、空は白み、小鳥の声も聞こえる。未知の山道に何となく不安な気持で踏み出すが、昔からの峠道らしく傾斜は緩い。里山の感じだけれど脇に咲く山おだまきや、ぐんないふうろの花が道の単調さを救ってくれた。
 朝まだ早く、駅前の店も開いておらず、哀れにもコッヘルとコンロだけを背負うハメになった人が、ガッカリしてしまったのか、ネをあげんばかりのようなので山腹に腰を下した。他の人も「先に参ってはまずいぞ」と少し不安になり軽く食すが、目の前は遮るものも無く、一日の好天を約すように巨大な富士山が霧を吹きおろし、白い水平線の上にくっきりとのび上って迫っている。こんなに真近に見たのは初めて。耳を澄ますと様々な小鳥が鳴き合っている(道中、奇妙な鳴き声もあった。付近一帯は鳥獣保護地区にもかかわらず精悍な「ハダカチョッキ」の猟師さんのキジの空撃ちの音らしい)。
 間もなく御坂峠に出たが、思いがけず大きな茶屋が建ち、広い土間で老夫婦が飯盒を自在釣につるして朝餉の仕度をしているのが見えた。私たちが登っていくと茶屋の前の木製のテーブルに乗ったアルミの急須を指して愛想良く「そこにお茶がありますからどうぞ」というので、ちょっと気懸りだったが飲むと案の定、一人50円也でびっくり。うどんが200円也。美味だったそうだ。茶店には一緒にバスを降りたパーティが休んでいたが御坂山の方から黒岳に向かうらしい6、7人のパーティが下ってきた。この他には殆んど人に会うこともなかった。
 茶店前の坂を登るとすぐ御坂山の三角点に着くがそのまま八丁峠を目指す。登山道ははっきりしているが、気ままに伸びた小枝が覆い被さっていて全く薮くさい。陽ざしもようやく暑くなり、草いきれがたちこめて顔はしかめっぱなし。途中「至八丁峠」の道標が二つほどあったけど遂に「八丁峠」の札は見えず、峠を過ぎてしまったので格好の場所をそれぞれ心待ちにしながら小枝をかき分け急坂を登るがなかなか見つからず、ようやく、木立ちが少しまばらで快く木洩れ陽の落ちる緩斜面を見つけ昨夜来の眠気を満たすことにする。仰向けになると、木の葉の天井の下で草の香にうっとり、このまま夕方になってしまうのではないかしらんと思ううち、意識朦朧と眠りに落ちてしまった。
 気がつくともう、2時間近くになる。ようやく正午前。人気もなく緑に囲まれて静かな清八峠に着き、紅茶を沸かして休む。そこを発つとすぐ、あの面白い名の「ほんじゃがまる」の岩山だ。向こうの山腹に咲き競うつつじと岩山とさらさどうだんの図は、一流の庭師が手を入れたみたいだ。
 鶴ヶ鳥屋山に向かう道は一部、分り難い所もあったが、白峰三山、八ヶ岳、奥秩父連山のパノラマは素晴らしかった。やがて笹子分岐に至る。2時40分。時間の都合もあって「二度と来ないであろう山」鶴ヶ鳥屋山を断念して笹子に下る。この下りも急坂の樹林帯を抜けると西陽の照りつける薮で、かなりきつかったが間もなく林道に出てほっとする。富士山と花を道連れにした薮山山行でした。

〈コースタイム〉
河口湖発(3:45) → 新御坂トンネル(4:15) → 御坂峠(6:15~6:40) → 御坂山(7:15) → 清八峠(11:50~12:40) → 笹子分岐(14:40~15:20) → 笹子駅(16:35)


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ217号目次