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尾瀬自然観察会
比留間 恭子
山行日 1983年7月9日~10日
参加者 田原、江村(真)、江村(皦)、鈴木、中村、岩崎、古矢、関谷、比留間

 7月8日、霧のような小雨の中、新宿西口に集合。都岳連主催の山行ということで、かなり年齢に幅があることがわかる。私達山岳会は田原さんの指揮の元、バスに乗り込む。バスは11時過ぎ、新宿を出発。夜行のバスはどうも苦手、何度も寝返りをうちながら、明日の天気やみんなの足について行けるか案じられる。
 バスは5時過ぎ、戸倉のバス停に到着。そこから鳩待峠までマイクロバスで入る。空は今にも降り出しそう、鳩待山荘で朝食をとっている間に雨が降り出す。買ったばかりの雨具を出すことになる。
 6時、鳩待山荘前にコース別に整列、この雨の中、至仏山に登る年配者の多いのに驚く。6時45分出発、至仏山から眺める尾瀬ヶ原に期待しての山行だが、梅雨の時期、展望は諦め、江村さんご兄弟に高山植物を教えていただくことにする。尾瀬は高山植物の宝庫とあって、かわいい小さな花が咲き乱れている。道はぬかり、木道は滑り少々緊張気味。年配者が多くゆっくり登り、10時に至仏山山頂の手前のピークで昼食をとる。1時間ほど休憩のあと出発する。道は大きな岩とぬかるみで滑ること最高。緊張の連続の中、ひっそり咲いているウスユキソウに心が和む。
 ところが、やれやれ岩の連続から開放され木道になるなと思ったところでハプニングに遭ってしまった。前を歩いていた50才くらいの女性が木道で滑って足を骨折したらしい。骨折もしたことがなければ、山でこんな事故に遭うのも全く初めての私は、ただオロオロするばかり。小屋番の経験のある江村さんの的確な指示で当て木がされ、中村さんがおぶって下山することになる。女性とはいえ怪我した人を運ぶのは大変。山での事故の恐ろしさ、どんな小さな山でも油断は大敵と自分に言い聞かせる。全員の協力でなんとか山の鼻に無事到着。ここで解放と思っていたのだが都岳連関係者が見当たらず、結局三峰山岳会の男性(江村、中村、鈴木、岩崎の4名)が今度は担架で鳩待峠まで運ぶことになる。私達女性(古矢、関谷、比留間)は岳連関係者に事故を伝えるために残り、午後2時30分、山の鼻から尾瀬ヶ原を通り尾瀬小屋に向かう。原は水芭蕉は終わり、ニッコウキスゲには一寸早い時期で、所々ワタスゲやオゼコウホネが見られた。4時30分小屋に到着。男性は私達が夕食を終えた7時頃やっと到着。「本当にご苦労様でした」。
 翌日10日は4時過ぎ、下田代十字路を出発。昨晩はミーティングがあり、燧ヶ岳の登山者を極力制限することになり、今日の登山者は15名程度になる。足がまだ目を覚ましていないうちに傾斜がきつくなり、速いペースに必死。天候は依然雨具を離せない状態が続き、道はぬかっている。途中、朝食をとり芝安くらに6時55分到着。もう一つの山頂俎ぐらには7時10分に到着。コースタイム3時間40分のところ約3時間という好ペース。そこで昼食をとり、下山は雪渓の上やお花畑をのどかに歩き、御池には10時15分に着く。他のコースを歩いた人達を大分驚かせたようだ。尾瀬御池ロッジで軽く乾杯の後、バスで桧枝岐温泉に直行。3時過ぎ、桧枝岐を出発して東京へと向う。
 今回の山行は色々な意味で忘れがたい山行になった。天候が悪く山頂からの尾瀬ヶ原を見ることは出来なかったが、是非もう一度登りたいと思う。多くの人に人気のある尾瀬だが、比較的人の少ない"初雪"の頃なんて素敵でしょうね。皆さんご苦労様でした。


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