山行日 1985年2月10日~11日
メンバー (L)大塚、高橋(弘)、湯谷、金子
指先の冷たさに耐えられない私は、思わずサンバのステップを踏んでいた。しかし、ただ疲れるだけで足は一向に暖まらない。バンドを強く締め過ぎたのかも知れない。
ここは小同心の取付き。弘道さん、金子さん、湯谷さんの精鋭4人は、前日鉱泉に入山。ワインで乾杯、タラチリでスタミナをつけた。そして今日大同心稜をヒイヒイ登ってきたのだ。天気はあまり良くない。強風の中白い鎧をまとった岩峰が頭上で見え隠れしている。
ようやく先行パーティのラストが視界から消えようとしていた。待ち切れない私は「弘道さん行こうや」と声をかけ、彼のリードで登攀が始まった。ザイルはどんどん伸びていった。リッジの手前のチムニーで急に彼の動きが鈍くなる。そして彼は全く動かなくなった。このままチョックストーンになってしまうのかと心配したが、やがて上のリッジが空いてこのピッチを切った。金子氏がセカンド、湯谷さんが私のザイルを引いて続いた。セカンド以下はシングルロープであった。
7・8年前であろうか、ちょうど今頃、私は赤石山系の最深部、赤石東尾根を目指していた。富士川水系から雪の峠を二つ越え大井川水系へ、そして胸までにも達するラッセルを繰り返し、富士見平のA.Cに着くまで実に6日間を要した。翌日は好天に恵まれ悪場を乗り切り、待望の赤石ピークに立った。本当に山らしい山であった。ただ居るだけで満足できる山であった。樹の香り、雪の香り、そして岩の香り、全てが私を包み込んだ。下山まで他のパーティに会うことはなかった。
私はより強い喜びが欲しかった。より強い感動が欲しかった。「やっぱしおれ八ヶ岳好きじゃないのかな、でも八ヶ岳ずいぶん人が来てるんだよね。ある程度楽しめるからね。こうガラガラしているのなんかイヤだね。火山だから仕方ないか、やっぱり便利だよね」
てなことを考える余裕もなく、私は最終ピッチを登っている。「このクラックを抜ければ、このクラックを抜ければ」果たして目の前は荒涼とした横岳の稜線が広がった。そして頼もしい仲間の顔が私を迎えた。