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太郎山(GOGO山行)
金子 隆雄

山行日 1989年3月11日~12日
メンバー 金子

 GOGO山行も残すところ2山となったが、今回その内の一つの太郎山へ行ってきた。
 3月11日の朝、家を出て東武日光へ9時30分に到着。湯元行きのバスは12時51分までないので中禅寺温泉行きに乗り、中禅寺温泉で約30分の待ち合わせで湯元行きに乗り換えて三本松で下車する。ここいら辺は何もない所かと思っていたが、結構ここでバスを降りる人が多い。クロスカントリースキーが盛んなようで、土産物屋には貸スキー、貸靴が置いてある。
 裏男体林道の始点まではスキーコースになっている近道を20分ほど歩く。今日は良く晴れ渡っているので、戦場ヶ原の農場付近からは男体山、山王帽子、太郎山などが一望の元に見渡せる。林道は車が通った跡があるので苦労せずに歩ける。唐松林の中、真直ぐに延びた林道を行くと、朽ち果て廃屋となっている飯場跡がある。林道はここら辺から長い上り坂が続き、男体山の裾野に沿って延びている。ようやく道が平坦になって程なく湯殿沢橋を渡ると5分ほどで志津小屋方面との分岐になる。この分岐の所にオートバイが止めてあり雪の上で昼寝をしている人がいる。こんな所までバイクで来るなんて、物好きというか、バカげているというかとにかく感心してしまう。分岐から先は車も通っていないのでちょっとしたラッセルになる。後を振り返ると自分の足跡だけが点々と続いていて気分が良い。15時30分に登山口に着いてすぐにテントを張る。
 3月12日、今日は早く出発しようと思っていたのだが、起きたのは6時半だった。サブザックにアイゼン、ヘッドランプ、水筒それと若干の食料を詰め込んで7時10分にテントを出る。出だしの登りは緩やかで、雪もそれほど多くない。随所に目印があり冬でも道に迷うことはない。はずであったが、道を間違えてしまった。太郎山こっちの立派な指導標が在ったにも拘わらずそれを見落としてしまい、赤ペンキの印が続く方へと進んでしまった。ほとんど登りがなく、だんだんと太郎山から離れていく道をおかしいなとは思いつつも尚も先へ行くと、とうとう目印もなくなり道らしきものもなくなってしまった。暫くその辺を行きつ戻りつ道を探すがとうとう諦めて戻ることにする。正しい登山道に戻ったのが9時ちょうどで、1時間のロスをした。今回は単独行なので誰に文句を言うことも、言われることもないが自分に腹が立ってしょうがない。時間的にはかなり厳しくなったが、12時までに頂上へ着かなかったら下山しようと決めて登りだす。
 日の当たる場所は雪が締っていて登り易いが、日の当たらない場所はかなり潜ってしまい苦労する。登るにつれて傾斜はかなり強くなり、おまけに堅くクラストした上に柔らかい雪が乗っているのでズルズルと滑って非常に疲れる。樹林帯を抜けるとそこは新薙と名前がついている幅20mくらいのガレ場が頂上まで続いている。傾斜が強いので雪が多いときは雪崩が出そうだ。太郎山の山頂は富士山のお釜のようになっており、底は野球場がスッポリ入るくらいの広さがあり、真平になっている。最高点は反対側にあり、一度下りてまた登らなければならない。ひどく疲れていたのでここら辺でお茶を濁して下山してしまおうかとも思ったが、写真を撮らなければならないのでもう一踏ん張りする。反対側の尾根に上がると、頂上へと踏跡が続いている。多分光徳から登ってきたのだろう。12時ジャストに頂上着。誰もいない。
 最終のバスの時間が気になってゆっくりしていられず、写真を撮るとすぐに下山にかかる。新薙の下降はアイゼンを着用する。1時間ちょっとでテントまで戻ると、テントが逆さになっていた。朝、無精して水を作らなかったので途中で水がなくなり、喉が渇ききっていたのでお茶を沸かして飲んでから撤収にかかる。
 林道はその後かなりの車が通ったらしく轍は更に広がり一層歩き易くなっている。林道歩き1時間40分で三本松に帰り着いた。なかなかハードな1日であった。

〈コースタイム〉
11日 東武日光(10:50) → 中禅寺温泉(11:30) → 梵字飯場(14:05) → 湯殿沢橋(14:55) → 幕場(15:30)
12日 幕場(7:10) → 太郎山山頂(12:00) → 幕場(13:20) → 梵字飯場(15:00) → 三本松(15:45)

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