山行日 1999年12月5日
メンバー (L)小幡、野口、金子(操)、細川
冬山に向けてのボッカと気構え。以前通い慣れた丹沢塔ノ岳。天気予報では曇りから雨とのこと。気が進まぬまま渋沢駅集合。野口さんと私は車で別々に乗り付け、電車組と合流。野口さんは駅前広場の水場で20リットルポリタンに満タン給水。彼曰く(折角荷揚げするのだから)事前に尊仏山荘に荷揚げ要請の有無を確認。(間に合っている)との事でポリタンになった訳である。二台の車に分乗して大倉登山口へ。本日の目的ボッカ。先ずは重量増加の為、河原に降りて手頃な石をザックの中へ。意欲溢れる小幡さん、大きい石を4・5個ザックの中を汚さぬ様紙袋二重包装でパッキング。過重量荷に納得の様子。三峰山岳会入会希望偵察山行の金子さんも、この様子につられて石を二つ・三つ(小さい声で、やや小さめ)の紙袋に入れパッキング。私はと言えば、石よりも装備の方が良いとばかり、家から冬山装備一式、水3リッター、重量17~18キロくらいと軽めに済ませてしまう。(ザックが満ぱんだから勘弁してもらう)。三者三様の出立ちで闘争心溢れるリーダーの小幡さん先頭に大倉を発つ。
曇り空の下は12月と言うのに気温高く、歩くにつれ汗が滲む。花立小屋辺りまで登ると、すっかり汗びっしょりとなる。数年前この馬鹿尾根を環境整備と銘打って丸太の階段状とし、自然味を失い、景観を損ない、又歩き辛くなってしまった。20キロオーバーを背負う小幡さん、野口さん、流石に荷の重さが肩に食い込み言葉に出る。ボッカも最終段階後1ピッチで塔ノ岳、今日の目的を終えることができる。途中数人が同じ目的に向って汗を流す同士を見た。彼らはどこの山を目指すのだろうか? 塔ノ岳の頂上は、シーズンの混雑はなく閑散の感であった。重い石を背負った小幡さん、金子さん、頂上にケルン状に荷揚げされた所へ石を積む。20センチは高くなったであろうか。水を持ち上げた野口さん、尊仏山荘へ(感謝されたのだろうか)?
静かな塔ノ岳のピークでの憩い、ティタイム。この頃には薄日も出て来たが、私は頂上の片隅に目を移す。数年前の雪の日、長時間震えながら無線をやって遊んだっけ、と内心ほくそえんだ。
下山はすっかり軽くなったザックを背に、鼻歌混じりで上部階段を下る。私はと言うと登りと変わらない冬山装備。捨てる訳にもいかず同じ重さで大倉に降り立った。各人各様に得るものがあったと思うが・・・、ボッカ故に面白いことは何も無かった。